ごはんと瞑想と日々のうたかた

おいしいごはんと、瞑想のようなもの思いから浮かぶ言葉と、日々のささやかなできごと。そんな生活の切れ端と、たまにディープに心のことを、思いつくままにつづります。

自分とのパートナーシップからはじめたら?

恋人や夫婦の関係における
理想とするパートナーシップのすれ違い。
それで苦しんでいる人って
多いんじゃないのかな。

例えば、とりたて問題もないスタイルなのに
極端なスリムさが美の基準となっていて
それを目指した挙句、拒食症に陥ってしまう。

そんな形で、せっかくそこにある
金の卵を産むがちょう=ふたりの関係を
殺してしまっているのではないか、と。

 

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多くの女性的な役割を担うひと
(以下、女性と表記)にとっては

そしてもしかしたら、一般社会にとっても

理想的なパートナーシップって
対話し、互いに肯定的な言葉をかけあい
心のうちを包み隠さず話し
家事も育児も共同で行なっていく。

常に寄り添いあい
話し合いで物事を解決していく。
そんなイメージなんじゃないかな?

対して男性的な役割を担う人
(以下、男性と表記)にとっての

そして男性社会の中での
あるべきパートナーシップって

黙って寄り添いあうなかで
心のうちをわかりあえて
分業で互いの役割を果たしあう

それは時には外のことは自分が
うちのことはパートナーがという形で……

そうやって、ふたりの関係がうまくいく。

ステレオタイプかもしれないけれど
そんなイメージが、垣間見える。

自身が結婚していたときの経験や
いくつかの真摯なカップルを見ていて

女性は、言葉を尽くし
協力しあえることを
パートナーシップと感じやすいし

男性は、言葉を使わずに寄り添いあえ
自分のやりたいことを助けてもらうことを
パートナーシップと感じやすいのでは……
というように見えていて

そのことと、理想とのすれ違いが
苦しみを生んでいるのかもしれない。

 

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でもそもそもそれは、本当にあなたの望み?と
尋ねたくなる。

言いたいのは
男性の特性や、女性の特性を知ろう
違いをわかりあおう、ということではなく

世間にもてはやされるような
パートナーシップという
ありもしない理想モデルを
二人が追いかけていること

そして互いが自身の本当の望みに
フォーカスしていないから起こる
すれ違いがあり
そこに根本的な原因があるのでは
ということだ。

いまの相方とつきあいだした当初には
いくつもの戸惑いがあった。

「普通の男の人のようじゃないから」
と自らがいう通り
人間とか男性とかという範疇に
属さないような彼との間では
既存の男女間の考え方が通用しなかった。

わたしの常識は、ことごとく
ひっくり返されていった。

干渉されたくないし
ひとりで引きこもりたい。
3日も一緒にいると、きつくなっている。

辛抱強く、合わせてはくれるけれど
だんだんと弱ってくるのがわかる。

捕まえられ
いじりまわされて死んでしまう
虫かごの中の昆虫みたいに。

 

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でも、そういう生きものだから、仕方ない。
その生態に合わせるしかない。

そうやって、別々に暮らしながら
時折会うという生活をしているうちに
自分の中に変化が生まれた。

もともと24時間365日
恋人とべったり一緒にいたいタイプ。
それがパートナーというものの定義で
一緒に事業をやっているカップルを見て
それって最高じゃない?と思ってた。

でも気がつくと
一緒に住みたいとも思わなくなり

会いたいときに会いに行く
一泊か二泊して帰る、といういまの生活が
とても心地よくなってきた。

共に住むことがあるとしても
多分、食事と出かけるとき以外は
互いに不干渉で過ごすのだろう。

ひとりの時間を大切にとりながら。

一般的なパートナーシップの
モデルからは外れているけれど
喧嘩ひとつせず
仲が良いとはよくいわれる。

それほどまでに
パートナーシップとは多様だ。

だから自分自身と相手がどう生きたいのか
どう在るのが心地よいのかということを
知らないままに関係なんて築けない。

自分の、そして相手が口にする言葉と
本当の望みとは
イメージに絡め取られているせいで
実はかけ離れているかもしれない。

わたし自身、まだまだ
理解できているとは到底言い難い。

でも、一番親しいはずの他人のことを
わからないかもしれない
わかっていないということを前提において
共に過ごせるというのは、とてもありがたい。

だからこそ
他人について理解したと勘違いする自分を
やはりわかっていないと
戒めることができるし
無邪気に恋に落ちることさえもできたりする。

みんな、わかっていない
わからないという明るいあきらめを持って
パートナーと共にあればいいな、と思う。

わからないから知りたい
わかりたいと思うから共にいる。

その人と一緒になろうと思ったのって
きっとそこからだったんじゃないかな?
そしてもし、それが失われたら
共にいる理由もなくなってしまう。
そんな風に感じてる。

そもそも、ひとりでいられないなら
ふたりでだっていられない。
そうじゃないのかな?

わたしは長い時間をかけて
ひとりでいることを学んできた。
その仕上げのように相方と付き合いだして
ひとりで充足することを知ることができた。

相方のように
ふたりでいることが学びになるひともいれば
わたしのように、ひとりでいることが
むしろ学びな人もいる。

 

ひとりでいることが学びなひとの特徴は
ひとりではいられない、ってことだ。

 

人に見られる
見せるためのパートナーシップなんて
うわべだけ飾って
中身が発泡スチロールでできた
豪華なウェディングケーキのよう。

でも自分のために作るなら
不恰好でも食べられるケーキの方がいい。

 

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そんなおいしいケーキを作るために
自分の内側を見つめるのは
実はとっても、楽しい作業なんだ。

自分の本当の望みにフォーカスすること。
自分を生きたいように生きさせてあげること。

そんな、自分とのパートナーシップが
本当は、なによりも大事なんだよね。

ふたりでいて、もっと大きくなれるはずなのに
ふたりでいると小さくしぼんでしまう……
なんてことにならないためにも。